軽口雑話 第47話 中国1 おしりっぺたに凍傷!   
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 2度目の中国行きは上海経由天津でした。天津は、上海から1000KMほどの北のところに有ります。私の仕事は、据え付けた機械をテストし工場の設備とリンクさせることでした。
 最初に上海で得た情報では、この年の天津の寒さはものすごく−17度まで下がっているとのことでした。
 私の30歳のころモスクワで零下30度前後の経験は有りますが、マレーシアに移り住んでからは、寒いところへ行くなど想像もしていませんでした。
 マレーシアから行くと温度差は47度も有ります。
 最初の計画では、3日で済むはずでしたから、着替えも最少限度で多少の寒さなら気合いで我慢出来ると思っていました。

 天津は寒さだけでなくスモッグもすごいものがあって、広い大通りの反対側を歩いている人がぼやけて見えるほどでした。
 食事は旨いものが多いのですが、日本で毒入りの餃子で大騒ぎをしている頃でした。
 天津は餃子の町で至る所に餃子のお店が有ります。お店で出す餃子は中身の具ごとに皿で分けて有ります。中身は、豚、チキン、牛、エビ、かに、などたくさん種類が有ります。一皿に20以上の餃子が乗っています。ですから数人で行って、数皿を取って食べます。人数が多いほどいろいろな具を味わえます。

 2月の初めで中国正月の終わりの頃でした。日本でも大寒の頃ですから1年中で一番寒いときに当たります。やはりものすごい寒さで情報通り−17度まで下がりました。中国正月の後で世の中の動きが鈍く、荷物が着かなかったりして3日の予定が10日も釘付けになってしまいました。
 薄手の長袖の着替えも三日分しかなく、おまけにGパンだけで10日間を過ごすことになってしまいました。
 上半身は、持っている下着を何枚も重ね併せて、毎日肌着の部分を交代させて着ていました。
 仕事の現場は、外気が直接入ってくるところなので、毎日凍えるような寒さでした。下半身は、ももしきなしのGパン1枚で耐えていましたから夕方になると両足がしびれるほどの寒さというより痛さを感じました。
 天津最後の日に、仕事から帰ってシャワーを浴びていると、おしりっぺたに何か違和感じました。鏡に映して見ると黒い筋がついていました。よく見ると縦に黒く焼け跡のような割れ目が出来ていて後で凍傷だとわかりました。右のおしりっぺたに3本、左に2本長いクラックが入っていました。。
 その後、マレーシアに帰ってしばらくの間、傷跡の痒い日が何日も続きました。
 両おしりっぺたの黒い傷跡は消えるまで1年もかかりました。
 私は外地へ来てホームシックにかかった記憶は有りませんが、このときは、寒さとスモッグに辟易し、お尻に凍傷まで抱え込んだので、早くマレーシアに帰りたいと思いました。
 天津ではおみやげは何も有りませんが、本場の天津甘栗だけは安くておいしく、2kgも買って帰りました。  




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